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アメリカの禁酒法

Al Capone

アメリカの禁酒法というのは、1920年から1933年まで施行された法律で、消費のためのアルコールの製造・販売・輸送を全面的に禁止するものでした。
いま考えると、自由と民主主義の旗手であるアメリカ(当時もそうであったでありましょう)が、こんな馬鹿げた法案がなぜ通ったのか、不思議に感じられますよね。

実は、その経緯を振り返ると、複数の要因が重なることによって禁酒法が支持されたようです。17世紀のピルグリム・ファーザーズの渡米に象徴されるように、米国は敬虔なプロテスタントが力を持っていたわけですが、19世紀以降に禁酒法を強く支持したのもメソジスト派などのプロテスタント諸派でした。元来、キリスト教の儀式にワインが用いられる(キリスト曰く「皆これを取って飲みなさい、これは私の血である」)ことからも、キリスト教は酒を禁忌する理由はないのですが、過度に厳格で理想主義的な血がたぎったとしか言いようがありません。

ただ、世の中は信仰や道徳だけで動くわけではなかったのです。茶商や炭酸飲料メーカーは禁酒法に賛成しました。競合産業の禁止により業界の売り上げ増加が見込めたからです。その一方で、1917年には米国は第一次世界大戦に参戦し、帝政ドイツに宣戦布告したために、禁酒法の反対勢力の主要勢力であるビール会社(当時、大手はほとんどドイツ系)は沈黙せざるを得ない状況に陥りました。「ビール=ドイツ=悪」というレッテルが貼られたからです。そして、1920年に法律は施行されたのです。

そして、さらにうがった見方としては、国内の石油産業(当時アメリカは世界最大の産油国)が国内燃料産業の競合業界であるアルコール燃料産業を駆逐するために裏で糸を引いていたのではないか、との見方もあります。実際のところ、こののち、アメリカの石油産業は、国内はおろか、世界のエネルギー産業を長く牛耳ることになりました(「セブンシスターズ」「石油メジャー」)。

つまり、国民の健康や治安という表向きの理由を掲げながら、内実は特定の産業の利権や戦争のプロパガンダに利用されたのではないか、と思えなくもありません。
ともかく、それらの理由が絡み合って、クレイジーともいえる禁酒法は10年以上も存続し続けたのです。国民に民主的な議論が認められ、正義と公正が実現されるはずのアメリカで、です。いま考えると、中世の「魔女狩り」並みにおかしな政策です。

歴史というのは、無数の人間たちの成功と過ちの集積のことです。歴史を学ぶことによって、過去と同様の過ちを回避し、人類の繁栄と平和の達成の助けになる、と私は考えています。こんにちのアメリカは、大丈夫でしょうか。

OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像

Al Capone

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