かつてのソビエト連邦のゴルバチョフ政権当時のモスクワの酒屋の前での話です。
「一体どうしてゴルバチョフはウォッカの販売を禁止したんだ!ゴルバチョフを殴ってくる!」
酒屋に並ぶ行列から一人の男がゴルバチョフの所へ向かった。
しかし・・・暫くしてその男は戻ってきた。
別の男が「一体どうした?」と聞くと、彼は言った。
「この酒屋の行列よりゴルバチョフを殴ろうとする奴の行列の方が長かった」
いえいえ、まあこれは実話ではなく、これは旧ソ連時代のアネクドート(風刺小話)です。
まあ、「ロシア人」といえば「大酒飲み」というイメージがありますよね。
なんせ、40度のウォッカをストレートで嗜むお国柄ですし、生活の厳しさと寒さを凌ぐためにアルコール度数の高い酒を大量にあおった結果、アル中が大量に街にあふれている、という勝手なイメージを持ってしまいます。
たしかに、旧ソ連時代の酒飲みたちは、酒が切れたらアルコールを求めてオーデコロンや殺虫剤すら飲んでいたともいいます。
その不摂生のせいか、1995年の先進国の男性平均寿命は73歳前後でしたが、同年のロシアでは57.6歳と顕著に短命でした。(なお、ロシア連邦にはイスラム教徒も多く住んでいて、彼らは飲酒しませんから、本当はお国でひとくくりにできませんが。)
ところが、実は2000年以降、ロシア人の飲酒量は激減しているのです。
ロシアの国民一人当たりの年間飲酒量は、2011年は15.8リットルで世界4位でしたが、2016年には11.7リットルで、世界16位まで順位を下げています(26パーセントの減少です)。
同年の日本は8.0リットルですから、日本よりもまだ多いですが、肝臓の強い白人のロシア人が日本人の倍も飲んでいないわけですから、酒浸り、という状況ではないですね。
その結果なのかどうか、ロシア人男性の平均寿命は2017年には67.1歳と、上記の1995年からの約20年で10歳も伸びています。
そもそも、ロシアの伝統的な習慣では、飲酒はお祝いの日などの「ハレ」の場で飲むものとされていて、理由もないのに日常的に飲むとか、ひとり酒とかの習慣はないそうです。
ロシア国民の飲酒頻度ですが、2018年の調査によると「週に何回か」は4%、「月1回以上」で34%、「一切飲まない」が40%なのだそうです。
意外に頻度は低いですよね。
かつての日本でも、明治以前は晩酌という習慣はありませんでしたし、庶民にとって接待酒や飲み会という文化も一般的ではなく、お酒は「ハレ」の日だけに許された特別な振る舞いだったわけで、その頃の日本とロシアは似ていると言えます。
しかし、いまでは飲酒頻度でいうと日本人の方がロシア人より高いかもしれません。
それはともかく、2000年以降にロシア人の飲酒量が激減したのは確かですね。
これはなぜだと思いますか??
端的にいうと、プーチン大統領が反アルコールのキャンペーンを張り、国民がそれに従ったからです。
プーチン大統領は、一部の国民による過剰なアルコール摂取がもたらす罹患率・死亡率の高さ、家庭内暴力や治安悪化などを問題視して、2000年以降、「しらふのロシア」と銘打った反アルコール運動を展開したのです。
2004年にはアルコール商品の広告が世間から姿を消し、2005年にはスタジアム等での酒類の販売が禁止されました。
2012年には全国的に商店における夜間のアルコール販売ができなくなり、低価格のウオッカ販売を規制し、未成年に対する販売も厳しく取り締まりました。
飲酒運転の取り締まりも強化し、課税も強化しました。
そういった一連の政策が奏功して、ロシア人の飲酒量は激減したのです。
では、ロシア人は大統領の命令であれば、そうやってなんでも従ったのでしょうか。
それまでの国のリーダーは飲酒を規制しなかったのでしょうか。
そんなことはありませんでした。
この文章の筆頭のアネクドートを思い出して下さい。
1985年にソ連の最高指導者に就任したゴルバチョフ氏(当時書記長)は、大々的な「反アルコールキャンペーン」を展開しましたが、密造酒製造の横行や酒税の大幅な落ち込みによる財政上の問題から撤回に追い込まれました。
その後、1991年暮れにはソ連は崩壊し、ゴルバチョフ大統領(当時)は退陣に追い込まれました。
なお、代わって新生ロシア連邦のリーダーとなったエリツィン氏は無類の酒好きで知られていて、「ロシア人=酒乱」というイメージを決定付けてしまいました。
大統領在任中に泥酔し足を滑らせて川に落ち、死にかけたエピソードは有名です。
上記の男性平均寿命57.6歳という最悪の記録は彼の在任中の記録です。
国民は彼につられて酒を飲んでいたのでしょうか(笑)
以上のことから、ごくごく単純化した議論ではありますが、少なくとも禁酒の件に関しては(エリツィンのことはともかくとして)ロシア人はゴルバチョフの言うことには従わず、プーチンの言うことには従ったのです。
その違いに合理的な理由があるのでしょうか?
私は、実はあるのかもしれない、と思っているのです。
以下に述べますのは、やや大胆ではありますが、私の「仮説」です。
つまり「ツァーリへの郷愁と父性への憧憬」です。
ロシア人は、いまでも強く包容力のあるリーダーを愛し支持しているのではないか、ということです。
ツァーリとはロシア皇帝の別名です(語源はローマ皇帝の呼称の”Caesar”)。
ロシア人にとって偉大なツァーリとは、たとえば、16世紀に滅びゆく東ローマ帝国から帝冠を継承した初代ロシア皇帝「雷帝」イヴァン4世であり、17・18世紀に度重なる戦勝で欧州にロシアの名を知らしめた2メートル超の巨躯「大帝」ピョートル1世でありましょう。
良くも悪くも、ロシア国民は、民主政治を無条件に礼賛するのではなく、能力の卓越した専制政治家を支持する傾向が、現在でも相対的に高いと言えるのではないでしょうか。
ロシアが必ずしも急激に民主化しない理由はそういった国民性があるのではないか、と私は思います。
なお、私は民主制度という「器」そのものは絶対的な善であるとは必ずしも思っていませんので、私はここでロシアを批判・揶揄しているわけではありません。
つまりつまり、ロシア国民は、ゴルバチョフは「偉大なツァーリ」だとは認めませんでしたが、プーチンは「偉大なツァーリ」だと認めたのだ、だからゴルバチョフの禁酒令には従わず、プーチンの禁酒令には従ったのだ、とは言えないでしょうか。
端的にいうと、ゴルバチョフは「ペレストロイカ」の名の下に、ソビエト連邦を「超大国」の地位から転落させた為政者という認識を持たれており、意外にもロシア国民には人気がありません。
一方で、プーチンは「強いロシアの再建」を標榜している強モテのリーダーで、国内の支持率は一貫して高いのです。
「偉大なツァーリ」への国民の支持は、彼の政権在位期間にも端的に顕われています。
これを見て下さい。
【ゴルバチョフは6年9ヶ月】ソ連書記長(85/3-91/8)、ソ連大統領(91/3-91/12)
【エリツィンは8年5ヶ月】ロシア大統領(91/7-99/12)
【プーチンは20年9ヶ月で更新中】ロシア大統領(00/05-08/05)ロシア首相(08/05-12/05)ロシア大統領(12/05-現職
なお、プーチンの大統領の任期は現行憲法では2024年までとなっていますが、彼はその延長を狙っているとも言われているものの、それを批判する声は世論ではありません。
こうしたロシアの国のありかたについての私の「仮説」にある程度の真実を含んでいるとしますと、国の平和・安定・繁栄とはいったい何なのか、について考えさせられます。
世界というのは一筋縄ではいきませんね。
なお、プーチンのあだ名は「ツァーリ」、彼が尊敬する歴史上の人物はピョートル1世とエカチェリーナ2世(大帝)なんだそうです。