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葦原の中つ国は、どこ??

Shrine Gate

日本神話に【葦原(あしはら)の中(なか)つ国】というの国がでてきます。

地上の国のこと、つまり、日本のことだと言われます。
天上にある高天原(たかまがはら)、地下にある黄泉国(よみのくに)や根の堅州(かたす)国、そして海原などと対比されて神話の中に出てきます。

ですが・・・本当に【葦原の中つ国】に相当する「国」は日本のどこかに実在したのでしょうか・・・? 

神話の記載をなるべく尊重して歴史を解釈したい私ではありますが、そんな私でも、ちょっとその実在を疑っています。
というのは、神話の筋を追っていくと、いったい日本のどの地域が【葦原の中つ国】なのか、分からなくなってしまうのです。
まあ、日本列島全体を【葦原の中つ国】と呼ぶのだ、という解釈もできますが・・・。

たとえば、イザナキは、スサノヲを海原から自分のいる場所に呼び戻してワガママを言っている事情を聴きますが、その結果、彼を【葦原の中つ国】から追放した、とありますよね。
ということは、イザナキはその時に【葦原の中つ国】にいることになりますし、スサノヲを含めた三貴子が生まれたときもイザナキは【葦原の中つ国】にいたことになります(その間にイザナキが移動したとはどこにも書いていないので)。
三貴子を成した場所は、イザナキがイザナミと黄泉平坂で「離婚」を宣告した後に筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)のアハギハラで「みそぎ」をした場所ですよね。
アハギハラは小戸神社のある宮崎市だと考えるのが一般的ですので、そうすると、【葦原の中つ国】は宮崎市辺りを含む地域になるわけです。

その後、スサノヲは紆余曲折がありながらも根の堅州国の主となるわけですが、出雲にいた若い大国主が兄貴たちに虐められてスサノヲの許に転がり込みますね。
で、スサノヲは大国主に辛く当たりますが、ついには彼の力を認めて、よっしゃ、そしたら【葦原の中つ国】を治めよ、と命じます。
その結果として大国主は出雲に戻り、【葦原の中つ国】の国作りに励む、となるわけですが、そうすると、【葦原の中つ国】は出雲を含む地域になるわけです。
宮崎市から、えらい遠いですね。
大国主が実在したとして、そんなに広大な地域を治めていたの?って思いませんか。
大国主の治めていた地域って、せいぜい出雲一国なんじゃないか、という先入観とも合いません。

で、大国主がやっとのことで国作りを遂げると、やぶから棒に高天原から使者がきて、【葦原の中つ国】をよこせ、と言って横取りしようとしてきます。
そして結局、出雲の神々は敗れ、国譲りを承諾するわけですが、その結果、高天原から天下りしてきたニニギが降りてきた場所は、筑紫の日向の高千穂(たかちほ)峰です。
これは、宮崎県の高千穂峡か鹿児島県の霧島連峰に比定されています。
え、出雲の王を破った結果、九州南部に乗り込むの?ってなりませんか?
ふつう、平定した出雲に直接降りてきませんかね・・・?
で、そのあともニニギの子孫たちは、出雲を一顧だにせず、ワカミケヌ(後の初代・神武天皇)が瀬戸内海沿いに引越しを続けながら、大和(奈良県)に到達するわけです。
え、え、出雲は、どうしたの?

ということで、神話の大らかさに流されて、我々は寛大になってしまうわけですが、地理関係を具体的にたどると、実はなんだか不自然な流れになっています。
なので、【葦原の中つ国】という国は具体的には実在せず、神話のストーリーの演出上、後付けで設けられたのではないか、とも解釈できるのです。

まあ、逆に、その「不自然さ」が史実の痕跡である、とも、私は思っていますけどね。

OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像

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