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不当な扱い?のフトダマ

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日本神話のエピソードの中に「天岩戸(あまのいわと)隠れ」という有名なお話がありますね。
天照大御神(アマテラスオオミカミ)が高天原(たかまがはら)の神々の中で、最高に高貴であることを決定的に印象付けるエピソードですね。

このお話では、スサノヲの乱暴な行動に傷ついて引きこもってしまったアマテラスが世の中から消えてしまうと、高天原も葦原(あしはら)の中つ国も大混乱に陥ってしまい、これではダメだ、と、アマテラスに再登場してもらえるように、高天原の錚々(そうそう)たる天つ神(あまつかみ)たちが奮闘するわけです。
これをもって、アマテラスは世界に不可欠な神であることが明らかになり、神々はこぞってアマテラスの(と、実は、タカミムスヒとの二柱の神の)麾下(きか)に下り、アマテラスの寛容に対して恩を仇で返したスサノヲ(とその後裔である大国主)の正統性が明確に否定されます。
つまり、日本におけるミカドの正統性の根拠となっています。

天岩戸隠れのお話では、神々たちはそれぞれの得意な職能で最善を尽くします。この舞台の登場人物(?神だから人ではないな、登場神?)は次のとおりです(古事記登場順)。

  1. 思金神(オモイカネ)
  2. 常世(とこよ)の長鳴き鳥:神ではない。ニワトリくん。
  3. 鍛人(かぬち)天津麻羅(アマツマラ):日本書紀には登場しない。神ともされるが人ともされる。
  4. 伊斯許理度売命(イシコリドメ)
  5. 玉祖命(タマノオヤ):日本書紀には登場しない。
  6. 天児屋命(アメノコヤネ)
  7. 布刀玉命(フトダマ)
  8. 天手力男神(アメノタヂカラヲ):天岩戸の脇に隠れてアマテラスの再臨を待つ。
  9. 天宇受賣命(アメノウズメ)
  10. 八百万の神:アメノウズメの踊りを鑑賞して笑うだけ。

これらの神々は、このお手柄のおかげなのか、この出来事のあと、アマテラスの参謀となります。
そのことが分かるのが、これまた有名な「天孫降臨(てんそんこうりん)」のお話です。
これは、アマテラスとタカミムスヒがアマテラスの子のアメノオシホミミに葦原の中つ国の統治を命じ、果たして孫のニニギが降臨してその後裔が葦原の中つ国の統治者となる、というお話しですが、この降臨時にニニギに随伴した五神が古事記に列挙されています。
登場順に、アメノコヤネ、フトダマ、アメノウズメ、イシコリドメ、タマノオヤ、です。
なんと、すべて天岩戸隠れで活躍した神々ですね。
そして程なく、さらに三神が添えられます。
オモイカネ、アメノタヂカラヲ、アマノイワトワケ、です。
これもまた天岩戸隠れで活躍した神々(と天岩戸そのもの)ですね。
彼らは、アマテラスとその後裔の「宗家」にとっては無くてはならない神さまになっていた、ということが分かります(八百万の神は笑うだけだったせいか、そこから抜擢された神は・・・いなかったようですね(笑))。

ここで、神々のお名前を拝見して、あることに気づく人がおいでになるかもしれません。
名前の頭に「天(アメ/アマ)」が冠されている神とそうでない神がいますよね。

なぜでしょう??

ちょっと、考えてみましょうか。

このうち、オモイカネは、至高神・タカミムスヒの子で、アメノオシホミミ(アマテラスの子)の妻の兄(つまり、オシホミミの義理のお兄さん、アマテラスの義理の息子)でして、高貴な神であることは自明です。
ある意味、アマテラスより偉いかもしれない。別格ですね。

それから、イシコリドメとタマノオヤ(あと、選に漏れたアマツマラもそうなのですが)は、「祭祀担当」のフトダマが用意した幣帛(へいはく/みてぐら)に据え付ける玉と鏡を作成する神ですので、もともとフトダマの「配下」であった、とも解釈できます。
ちなみに、幣帛に付ける大切な三点セットとして、玉・鏡と並ぶ幣(ぬさ。現代では主に紙製ですが、元来は麻製です)はフトダマが整えたと思われます(フトダマの後裔(くわしくは後述)は麻のスペシャリストです)。

そうすると、「アマテラス参謀隊」の「ブレイン中のブレイン」はつぎのとおりとなります。

  1. アメノコヤネ(祝詞を読む担当)
  2. フトダマ(祭祀を司る担当)
  3. アメノウズメ(祭祀としての芸能を奉納する担当)
  4. アメノタヂカラヲ(アマテラス(≒太陽)を照らし続ける担当)
  5. アマノイワトワケ(タヂカラヲのパートナー)

なぜか、フトダマだけが、「天(アメ/アマ)」が冠されていません。
神の世界(あるいは、古代の日本)では、祭祀が最も重要なものなのに、何故なんでしょうか・・・。
ちなみに、日本書紀でも同じ扱いですので、書き忘れとか誤記ではないと思います。

私は、理由があると思っています。
意図的だ、ということです。

つまり、神話の編纂者は、フトダマを「ディスりたかった」のではないか、フトダマを崇敬・尊重したくない明確な意思が働いているのではないか、と疑っています。

実は、フトダマの後裔と自認する氏族は、早期大和朝廷の中で重要氏族であった「忌部」氏(いんべ。後に「斎部」と書くようになります)です。
しかし、「忌部」氏は同じく祭祀を分担する「中臣」氏(なかとみ。アメノコヤネの後裔)の勢力が伸長するに従って政権の中枢から退いていきます。
簡単に言うと、「中臣」氏にとって「忌部」氏は朝廷内でのライバルであって邪魔な存在だったと言うことができます。
ことは「中臣」氏の思い通りに運び、神話の中での「忌部」氏始祖・フトダマの扱いは軽くなったわけです。
ちなみに、「忌部」氏は、のちにこの扱いを不服として朝廷に建白書を提出します。それが斎部広成著「古語拾遺」なのです。

では、「中臣」氏がなぜこんなにいい思いをしているのでしょうか?

古事記の完成は西暦712年(和銅5年)と言われています。
同時期に日本書紀も完成したと言われています(同720年(養老4年))。
この時期の実力者は、誰でしたか?
そうです。藤原不比等(彼が政治の舞台で活躍したのは689~720年)です。
天武天皇(即位673~686年)は、敵対して滅ぼした近江朝で重用された中臣鎌足をはじめとする「中臣」氏を嫌って政権の中枢から排除しました。当時、「中臣」氏は消滅の危機に瀕していたのです。
ところが、持統朝になると、持統天皇は下級官人で冷や飯を食っていた鎌足の子・藤原不比等を大抜擢するのです。
その後の藤原氏の権勢については、皆さんご存じのとおりです。
藤原氏・「中臣」氏は復活を遂げたのです。
当時編纂された神話を含む史書(古事記・日本書紀)に不比等の意向が色濃く反映していたのは、当然のことと言えましょう。

しかし、ここまで目の敵にされた「忌部」氏は、「中臣」氏(藤原氏)からそれほどまでに危険視され警戒されていたわけです。
いまは痕跡も薄くなった「忌部」氏とは、何者だったのでしょうか。
ここを掘り下げるのが、実はカクヒコのライフワークのひとつなのです。

以上、「不当(フトー)な扱いのフトーダマ」編でした。(この一言で台無し)

余談ですが、タマノオヤは阿波の忌部氏の始祖である天日鷲命(アメノヒワシ)の弟とされる伝承がありますので、そもそもフトダマと「親戚」である可能性がありますね。
アメノヒワシは、酉の市で有名な東京都台東区・鷲(おおとり)神社のご祭神ですね。

Japan Vectors by Vecteezy

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